コラム「えんがわ喫茶室」 2006/02/09
2006.02.09.Thu 19:48
どうもこんにちは。「隠れ家ギャラリーえん」の喫茶マスターです。メール版「えん樂」をご覧のみなさまはじめまして。とてもとても寒い日が続いておりますがみなさんいかがお過ごしでしょうか?
「隠れ家ギャラリーえん」のある建物はとても古いものなので今の建物のように断熱性がありませんし、年とともに出来た隙間から、風がやむことなく吹いてきます。夏は全然吹いてこないのに・・・。そんな部屋の中でも、ストーブに点火をしてしばらくすると暖かくなってきて、でもまだ少しだけ寒いので温かい珈琲を淹れ、飲みながら見るえんがわ越しの庭はとても寒そう。そんな冷たそうな景色と珈琲が、朝、僕の体を温めてくれます。 今回のお話はまた前回の続きになります。前回は「可否茶館」が開店したけど、すぐに閉店してしまい、その後できた「カフェ・プランタン」が日本に本格的なカフェ文化を根付かせた。というところまででした。ではその続きを少し・・・。 「カフェ・プランタン」の建物は、その昔、博徒が根城としていたレンガ街時代のものでかなり荒れ果てていたそうですが、内装工事が始まり、黒塗りの看板が立ち上がると、そこに大きく金文字で「Café Printemps」と書いてありました。「Café Printemps」というフランス語のロゴが示すように、このカフェは1900年前後からパリへの旅を始めていた洋画家や演劇人たちが、芸術的ムーブメントのきっかけになるようなオープンなカフェを日本にも作ろうとしたものであるそうです。初めから、芸術運動の発祥の場として考えられていたそうです。 「カフェ・プランタン」のメニューはコーヒーが主ではなく、洋酒類が主体となっていて、カクテルやリキュールは当時ほとんど一般の人は知らなかったらしく、「カフェ・プランタン」ではできるだけいろいろの酒を集めていたそうです。「カフェ・プランタン」と称しながら、経営者は「カフェ=コーヒーを飲ませる場所」というイメージはあまりなかったのかもしれません。理由は様々ありますが、当時フランスでは、フランスのワインとブランデーがフィロキセラの害にかかっていて、ワインの不足を補うために蒸留酒がコーヒーと共にカフェの主力商品となっていました。その結果、フランスの世紀末のカフェといえば、色とりどりのリキュールがカウンターの後ろの棚を占めるバーのような雰囲気になっていたそうで、世紀末から世紀初頭にかけてパリを訪れた日本人はカフェをこうしたバーのようなのイメージで捉えたのかもしれません。あと、もう一つの理由は、当時の日本にはコーヒー豆の大量輸入ルートがなかったということもあります。 と、いうところで申し訳ございません。今回も紙面の都合上ここまでで続きとさせて頂きます。書き始めたのは僕ですけど、いったいいつまでこの話しは続いてしまうのか?もうしばらく書かせてもらいます。 いよいよ来週末!
2006.02.01.Wed 19:16
凸凹上映会の日が、あと10日という2月になりましたー。
あと残りの4作品を紹介していきます。 『エレガンスな世界』 監督:上野泰弘(DV12分) 科学者ホーキンスは宇宙は10次元だと言いました。車椅子に座りながら。 彼の頭の中に広がる世界ってなんなんだろう。 僕は田舎が嫌いです。そんな感じ。 『激常スパイラル』 監督:佐藤良祐(DV20分) 1ヶ月前に男は童貞を捨てた。捨てたと当時に見えたものは 想像していた世界とは全く違う世界だった。 仙台短篇映画祭2003実行委員会を激怒と絶賛の渦で沸かせた 青春のコマ落ち映画! 『freshuman from china again』 監督:古賀朋子 音楽:ジョンのサン (DV25分) 中国から来日してきた中国人を応援する映画。 名古屋で2番目にへたなバンド「ジョンのサン」の K.Dハポンで行われたライブ演奏に合わせて 記号と記号とテクニカルなアクションつなぎが 冴えまくるサイレント映画! 以上です。 お楽しみに〜 |
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